次は家康「討ち死に」ですか?三谷さん

 先日(9月25日)、放映されたNHK大河ドラマ真田丸」を観ていて、「エッ?」と思ったのは、私だけではないだろう。片手間に観ていたので細部はうろ覚えだが、いわゆる家康と秀頼の二条城での対面の際、秀頼の警護役を買って出た加藤清正の、その豊臣寄りの姿勢を嫌った家康によって「暗殺された」という展開に、である。

 画面では、家康の意を受けた家臣の服部半蔵が清正とすれ違う際、清正の首筋に何かを仕掛け、その後、ナレーションが「この2カ月後、清正は領国・肥後に帰る途中、急死するのである」と、思わせぶりに流れた。二条城での対面も、清正が警護に就いたのも歴史上の事実である。しかし、清正の死が家康による暗殺とは!?

 実は、8月21日にオンエアされた「真田丸」でも、秀吉亡き後の有名な史実である、清正や福島正則ら7将による「石田三成襲撃事件」がスルーされ、まったく知られていない、徳川派と反徳川派の京・伏見における武力衝突直前のにらみ合いが採り上げられた。

 この「にらみ合い」については、脚本家の三谷幸喜氏が、朝日新聞・夕刊に連載しているコラム(9月1日付け)で、「お馴染みのシーンはあまり描きたくない」と、その意図を明かし「知られざるエピソードを、史実を基に、独自の解釈を入れながらドラマ化する喜び」「想像しながら物語を組み立てる作業はとても楽しかった」と語っている。そして「マイナーな出来事なので、僕が史実を捏造したと思っている視聴者も多かったみたい」と、狙い通りの反響に「してやったり」との思いも滲ませている(実は、私も三谷氏の捏造だと思っていた)。

 と、すると、今後の「真田丸」のストーリー展開だが、あの三谷氏のこと、ひょっとすると「大坂夏の陣」で信繁(幸村)に鋭く攻め入られ、あやうく命を落とす寸前にまで追い詰められたという事実を基に、奇説として語られる「家康討ち死に」を匂わせるのではないだろうか、そんなことを考えてしまう。

 「ある時期」からの家康は別人であったとする説は、大きく分けて3つある。

 その一つが「大坂夏の陣での討ち死に説」であり、
 もう一つが「桶狭間の戦いの翌年いわゆる守山崩れの時に家臣に刺殺され、その混乱に乗じた『浪人』世良田二郎三郎元信が家康を詐称し、徳川を乗っ取ったとする説」、
 そして「関ヶ原の合戦中に暗殺され、以後は『影武者』であった世良田二郎三郎元信が家康の身代わりとなって幕府を開いたとする説」である。

 この中で一番、信憑性があると言われているのが「大坂夏の陣での討ち死に説」である。

 前年の「冬の陣」に続く慶長20年(1615)の「夏の陣」の5月7日、家康は幸村の奇襲攻撃を受け、自害を覚悟しつつ堺方面に遁走する。その途中で葬列に出会い、死人になり代わって棺桶に入り、逃げ急いだのだが、紀州方面に出陣中だった後藤又兵衛の部隊と遭遇。不審を抱いた又兵衛は、いきなり槍で棺桶を突き刺した。そして又兵衛は、棺桶の中までは確認せずに去っていった。棺桶は急ぎ、堺の「南宗寺」まで運ばれたが、すでに家康は絶命していた。

 家康の死は極秘にされ、よく似た顔立ちの農民が身代わりに立てられた。しかし、秘密の露見を恐れた徳川重臣によって、翌元和2年(1616)4月17日に毒殺された。死因は、鯛の天ぷらを食しての食中毒と発表された。そして元和3年4月8日、南宗寺に仮埋葬されていた家康の遺体は、駿府久能山から日光東照宮へ改葬するという名目で日光に運ばれ、改めて祭られた。こんな話である。

 南宗寺は元々、阿波・三好家の菩提寺である。三好長慶が父・元長のために創建した。墓苑には千利休の墓もあるが、徳川家とは特に深い繋がりはない。

 しかし後に、2代将軍・秀忠や3代将軍・家光が、どうしてわざわざ参詣に訪れたのだろうか?同寺の正門から北へ通じる道を、どうして「権現坂」と呼ぶのか?幕府直轄地である堺の堺町奉行が歴代、どうして着任後に詣でたのか?そして何よりも、その後、同寺域内に「東照宮」が建立されたことが最大の疑問となり、これらが「大坂夏の陣での討ち死に説」に信憑性を与えるのである。

 といっても、これ以上の証拠はない。逆に、家康を槍で突いた又兵衛は、前日の5月6日の「道明寺の戦い」で戦死した、というのが正史である。もっとも又兵衛については、後の「島原の乱」に軍師として加わっていたという伝説があるぐらいで、討ち死にしたという説もあやふやなものだ。さてさて。

 ところで、映画「清洲会議」で、妻夫木聡が演じる織田信雄(のぶかつ)が海辺での「かけっこ」の際、Uターン場所を通り過ぎて、なお前に走り去るシーン。これまで「たわけ」だったと言われていた信長・次男の信雄を、これほど見事に、比喩的に描いたものはないと、私は三谷氏の脚本に笑いを誘われ、実は三谷氏は、このシーンこそ映像化したかったのではないだろうか、と思ったくらいである。

そんな三谷氏が書く「真田丸」の今後のストーリー展開。「家康の討ち死に」となるのか、とても気になる。