張作霖

 浅田次郎の「中原の虹」全4巻を読み終えた。1巻を読み始めてから3カ月ほどかかったのだろうか。一気に読み進めればいいのに、いつも5〜6冊を同時並行で読むので、こんなに時間がかかってしまった。いや、それにしても面白い小説だった。舞台は張作霖の若かりし頃から、奉天(現・瀋陽市)を中心に中国の東北地方、いわゆる満州に覇権を確立するまでの馬賊時代の張作霖と、西太后、それに袁世凱が主人公である。

 これまで、この清朝末期から孫文による辛亥革命を経て、中華民国建国に至る中国の西暦1900年前後の歴史は、関東軍の派兵など、日本から見た歴史の知識しかなかったので今回、改めて、中国の立ち位置で書かれた小説に、歴史書並みの迫力を感じてしまった。どこまでが創作で、どこまでが歴史の事実か、自分でも線引きができず、よく分からなくなってしまったというのが、今回の読後感。

 この小説では時間的経緯として、そこまでは扱われていなかったのだが、この張作霖、1928年(昭和3年)の6月、関東軍の参謀達によって奉天の近郊で、乗っていた列車ごと爆殺されてしまう。当時、いわゆる「満州某重大事件」として、日本でも広く知られた事件だ。ちなみに1945年の日本の敗戦後、これが関東軍によるものだったという事実が明らかになる。

 なぜ、日本軍あるいは関東軍張作霖を殺害しようとしたのか。

 それは日露戦争以来、日本軍に協力的だった奉天軍閥の総帥・張作霖が1926年(大正15年)に東3省(遼寧省奉天省〉、吉林省黒竜江省)の政治・軍事の実権を掌握するや、次第に対日依存政策から自主独立路線を強化し、満州支配を目論む関東軍(その後、清朝廃帝・溥儀を擁立して満州国を建国することになるのだが)との関係を悪化させていく中、内乱の続く中国で、張作霖を伐つために国民革命軍の再編成に成功した蒋介石が、張作霖が支配していた北京に向かって北伐軍による攻撃を開始したことによる。

 国民革命軍の満州進出を懸念した当時の田中義一内閣の思惑もあって、張作霖を権力の座から引きずり降ろそうとしていた関東軍の参謀達は、これを好機と捉えたのだ。

 6月3日午前零時55分、北京発奉天行きの特別列車に乗り込んだ張作霖は天津、山海関を経て、4日の午前6時頃には奉天駅に着くはずであったのが、奉天駅を目前にした午前5時23分、京奉線(北京〜奉天)が満鉄線と交差する鉄橋下に差し掛かった時、関東軍・高級参謀の河本大作大佐の謀略によって、他の多くの要人達とともに爆殺されたのだ。以上が歴史の事実。

 マッ、中原の虹を読んで、ここまで話を広げることもないのだろうが、張作霖を日本人が殺害したという事実を、今の日本人のどれだけの人達が知っているのだろうか(高校の日本史では習うのだが)。チョット気になってしまい、ここまで書いてしまった。

 で、それではということでもないのだが、中原の虹を読み終えて、その後、10年ほど前にも読んだ伴野朗の「陰の刺客」をまた、一気読みしてしまった。これも清朝後期(1800年代前半)の道光帝時代、マディソンやジャディーン、デントといったイギリス商人による清へのアヘン密輸に立ち向かった欽差大臣・林則徐の物語だ。

 結局、清朝はその後、イギリスとのアヘン戦争による敗北でまたまた国力を疲弊させるのだが、この小説の最後に出てくる「エピローグ」で触れられていた香港と、ポルトガル領であったマカオの中国への返還に至るプロセスは今、北方領土の問題でロシアと対峙している日本にとって、何らかの示唆を与えそうだ。そう思う。これについては、次回にでも書こうと思っている。

 そこでだ、maruhoppeさん、中原の虹3巻と4巻、いつでもお貸しできますよ。