八咫烏(やたがらす)

「慎の慎さん」から「神武天皇を導いたというカラスは、高句麗の3足烏と関係があるのでしょうか」というコメントをいただいた。

実は私も以前、古代(紀元前37年頃)朝鮮半島高句麗を建国した「朱蒙チュモン)」を主人公にした韓国ドラマを見ている中で、高句麗の掲げる旗印に「3足烏(さんそくからす)」が描かれている点に「アレッ」という思いを持ち続けてきた。というのも、わが国の初代・神武天皇の「東征」においても3足烏が登場してくるからだ。

つまり、こういうことになる。神武天皇は日向を出て東征する際、熊野の山中で道に迷われた、と「古事記」にある。この時、高木大神(日本書紀では天照大神)の使いとして現れ無事、大和(今でいう奈良)まで導いたのが「八咫烏(やたがらす)」というのだ。この八咫烏は、3本の足を持つカラスとして描かれることが多いが、実は不思議なことに「古事記」には、3本足という記述はどこにもない。

では、どうして「八咫烏=3本足」ということになったのだろうか。

そもそも3本足のカラスは、中国南部の少数民族・ミャオ族などに伝わる古代神話「射日神話」に登場する。「昔、大陽が10個あった時、10個が一度に現れ、大地の草木がみるみる焼け焦げたので、帝が弓の名人に9つの大陽それぞれに住む9羽の3本足のカラスを射落とさせた」という物語だ。

どうやらこれが日本に伝わり、3本足のカラスが大陽の象徴として(太陽神・天照大神の使いである八咫烏として)広まったような気がする。朝鮮半島北部から旧満州地方の辺りにかけては、やはり太陽神信仰と降臨伝説があったと以前、何かの本で読んだ記憶がある。そう考えると古代、わが国と高句麗で同様に、カラスが神の使いとして登場してくるのは、ある種の偶然性もあったのではないだろうか。

ちなみに3本足のカラスは、サッカー日本代表のエンブレムに使われたことで近年、一躍有名になった。このエンブレムは、昭和6年に日本サッカー協会が初めて採用したのだが、これは当時、日本サッカーの生みの親とされた故・中村覚之助が八咫烏ゆかりの熊野・那智勝浦の出身で、生家は熊野三所権現の氏子だったということに由来するようだ。