太祖王建

それまで「点」でしか理解し得ていなかったその時々の歴史の事象が、歴史の大きな流れの中で、「1本の線」としてつながり始めた時、歴史愛好家の私はいささか喜びを感じてしまう。

その一つの例が、最近になってようやく朝鮮半島における各王朝の興亡が、私の頭の中で1枚の歴史年表として描けるようになったことだ。それも、平行して同時代の中国と日本の歴史年表を重ね合わせることができる。

私の歴史好きは多分、中学生時代にまで遡る。何年生の時だったかもう忘れてしまったが、教室の黒板の上の天井との間に、黒板の左右とほぼ同じ長さの大きな歴史年表が貼られていた。そして私は1年間、その歴史年表を飽きずに見続けたのである。それは日本史を中心に東アジア史、西洋史も含まれており、また、決して100年という単位が等間隔で刻まれたものではなく、古代は小さく、近代に近づくほど大きなスペースが取られていた。

今でもこの時、見続けた歴史年表は私の頭の中に残像として残っており以後、私の歴史に対する理解は、特に日本史の場合、様々な歴史の1事象をいずれもこの残像年表の上に置くことで、全体の歴史の流れの中で捉えている。

そこで、「朝鮮半島における各王朝の興亡・・・」ということになるのだが、実はこれは、ここ何年かの間に韓国で放映された歴史ドラマを採録したDVDを借りてきて、それを見るところから始まった。まず、紀元前37年頃に高句麗を建国した「朱蒙」(チュモン)、続いて高句麗が滅びた後、その地に渤海を興した「大祚榮」(テジョヨン)、高句麗3代目の王となる無恤(ムヒュル)を描いた「風の国」と3作を、これまでに見た。

テジョヨンなどは100話を超える長編だ。これらを2年ほどかけて見終えたことで、それまで日本が置いた「任那」(みまな)との関係で7世紀前半、朝鮮半島には高句麗新羅百済があったという程度の理解が、紀元前の古朝鮮から3国時代まで、ようやく1本の線としてつながり始めた。ただ、いずれも朝鮮半島で現存する最古の歴史書三国史記」(1145年完成)が下敷きとされているだろうことを前提に、創作性が随分と高いのだろうということを気に留めながらではあるが。

そして今、これに味を占め、3国時代から「統一新羅」を経た「後3国時代」に終わりを告げ、高麗を建てた「太祖王建」(ワンゴン)を見始めた。先週末にちょうど、甄萱(キョンホン)が後百済を、弓裔(クンイエ)後高句麗を建国するところまで来たが、何分これも長編、ゴールデンウィーク中に集中的に見て、夏のお盆休みの頃には見終えるだろう。