孟嘗君

いわゆる「食客3千人」とも言われた「戦国4君」といえば、斉の孟嘗君(もうしょうくん)、趙の平原君(へいげんくん)、魏の信陵君(しんりょうくん)、楚の春申君(しゅんしんくん)のことだ。

4君が活躍した舞台は古代中国。紀元前770年、周の平王は北や西の騎馬民族に追われて都を洛陽に遷した。それから、紀元前221年に秦の始皇帝が中国を統一するまでの約500年間を、中国では「春秋戦国時代」という。そして、この前期の約300年を「春秋」の時代、後期の約200年を「戦国」の時代と称している。

戦後時代には秦、楚、燕、魏、斉、趙、韓の7大国が事実上、天下を分けていた。戦国4君は、この時代に各国で活躍した王族や豪族である。かれらは数百人から数千人という多くの食客を抱え、膨大な財力を持ち、任侠に生きることを理想としていた。一方、食客は普段は居候を決め込んでいるが、いざという時には、こうした主人のために犬馬の労をとることを旨としていた。

主人と食客の関係は、各国が領土の拡張に明け暮れる中、この乱れた時代に鮮やかな彩りを添えてくれる。

孟嘗君は「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)のエピソードで有名だ。秦の昭王の招きに応じて同国に行き、捕えられて殺されそうになった時、すでに昭王に献上していた狐の脇毛で作った最高級のコートを、食客の一人でコソ泥の名人が盗み出し、昭王の愛妾に贈ることで、愛妾によって釈放され、また関所である函谷関に至った時、物まねの名人が鶏の鳴き声で、関所の役人に「もう朝が来たのか」と勘違いさせて門を開かせ、寝ぼけ眼の役人の手をすり抜けて秦を脱出したという話。

平原君は、足の悪い食客を侮辱した腰元を罰せず、「士よりも女を重んじている」と言われたことで己の非を悟り、この腰元を切ったことや、秦に攻め込まれ楚に救援を請いに行く際、3年間、何もしていなかった毛遂という食客を伴い、ものの見事に救援軍を申し受けることに成功した。

信陵君は魏王との将棋の最中、趙が攻め込んできたという伝令の報告に、攻めてきたのではなく、狩猟のために兵を動員しただけに過ぎないという情勢分析で魏王を安心させた。何人もの食客を方々に派遣し、スパイとして使っていたことを示すエピソード。春申君も、秦の昭王に楚を攻めることを思い留まらせた逸話が残る。

戦国時代とは、この4君と、かれらの食客が活躍した時代でもあった。というわけで、宮城谷昌光の「孟嘗君と戦国時代」(中公新書)を読む前に一応、頭の整理をしてみた。ちなみにこの新書、NHK教育テレビで08年10月から11月に放映された「知るを楽しむ」のテキストを加筆・修正したものだという。こんな番組があったことは知らなかった。「知らないことを悲しむ」というべきだろう。