箸墓古墳

 「三国志がみた倭人たち」(山川出版社)を読了。10年ほど前に出版された古い本なのだが、書名につられて、つい図書館で借りてしまった。著者は国立歴史民族博物館の研究者や大学教授など10数人で、副題は「魏志倭人伝の考古学」となっており、「ここに決まり、邪馬台国の位置と卑弥呼の墓」との帯がかけられている。

 結論から言うと、この本では、邪馬台国は今でいうところの奈良を中心とした地域に存在し、そして、箸墓古墳奈良県桜井市)が、卑弥呼の墓であろうと見立てている。つまり、これまでも九州か近畿かと、それこそ江戸時代から議論されてきた「邪馬台国はどこにあったのか」というテーマについて、近畿説を唱えているのだ。

 ちなみに、全国の主な古墳を管理する宮内庁は、この箸墓古墳を第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓だと比定しているのだが。

 邪馬台国の所在地については、一般的には、関東では半々に分かれ、九州に行けば、それこそ圧倒的に九州支持者が多くなる。しかしこの本では、考古学者100人が集まれば、おそらく90人以上は邪馬台国近畿説を支持し、あと数人が躊躇するだろう。また、たとえ九州の考古学者が100人集まったとしても、九州だと主張する学者はほとんどいないだろうと結論づけている。

 それほど考古学の世界から見れば、邪馬台国が九州にあったことを示す考古学的資料、つまり物的な証拠は皆無なのだという。

 これまでの多くの議論が「三国志」に書いてある記事だけを基に、いわゆる文献資料のみで判断して、九州だ、近畿だと論争していたに過ぎず、考古学的にはとっくに近畿という結論が出ていたのだ。

 確かに自分自身の認識も含めて、考古学的な視点で考えたことは、これまでなかったように思う。九州か近畿かということはさておいて、その点で、この本は私にとって貴重な一書となった。

 しかし、世界中の多くの遺跡が土中深く埋まっているところから発見されている。本当は邪馬台国は九州のどこかで、地下数十メートルの所に埋まっており、まだそれが発掘されていないだけだとしたらって、素人的にはこんなことを考えてしまう。

 でも、それはあり得ないか。たかだか1800年ほどしか経っていないのだから。