乾隆帝

以前から中国の「清朝」(1644年〜1912年)、とりわけ、隆盛を極めた第6代皇帝の乾隆帝(けんりゅうてい)の時代をもう少し理解しておきたいと思っていた。

というのも、たかだか50〜60万人の満州族が建てた征服王朝である清が、いったいどうやって1億人以上の漢民族を統治したのか。

それと乾隆帝については、「十全武功」(じゅうぜんぶこう)と呼ばれる10回にもわたる外征だ。まずはジュンガル(モンゴル人の遊牧国家)と戦うことで外蒙古、青海、チベットを版図に加え、ついにはジュンガルの根拠地の一つである新疆を征服、ここに新疆省を作った。またビルマベトナム、シャムを藩属国にし、はるかネパールのグルカまで遠征、ついには中国史上、最大の帝国を形成するに至ったのだ。この帝国の領土は、清朝滅亡後も現在の中国の領土としてほぼそのまま残るなど、いわば後世に最高の贈り物をしたことになる。

そんなこんなで、何か清朝の王朝絵巻っぽいドラマはないかと近所の「TSUTAYA」に行ってみたところ、ありました。そのものズバリ、「乾隆王朝」(全10巻)と銘打ったDVDが。

早速、レンタルして、年末年始の休暇を利用し全巻見終えたのだが、これは、乾隆帝の輿の担ぎ手から、寵臣として軍機大臣(皇帝の個人秘書的な職務)にまで上り詰めた「和伸」(わしん、「しん」は正確には王申)という人物の物語と言っていいほどの出来栄えで、乾隆帝の事績を理解するという意味では、決してそれほどの内容ではなかったと思う。実際、十全武功については、ビルマへの遠征が取り上げられていたが、それは、最高指揮官を務めた乾隆帝の皇子の能力の無さを強調するためのエピソードとして描かれていたに過ぎない。

乾隆帝は1711年に生まれ、1799年に没するまで、18世紀のほぼ全時期を生きた。その間、1735年〜1795年までの60年という長期間、帝位に就いていた。多分、中国の歴代王朝でも、これほど長きにわたり帝位に就いていた例は無いだろう。で、この時代、日本は徳川幕府の世の中で、乾隆帝が生まれた時は6代将軍・家宣の時代、帝位に就いた時は8代・吉宗、亡くなった時は11代・家斉ということになる。

徳川の世でもそうだったが、清朝乾隆帝が亡くなってからの残る100年ほどは、ヨーロッパ諸国のアジア進出もあって、急速に国威が衰え始めている。しかし清朝徳川幕府が揃って、こうした外圧に対抗したという歴史はまったく無い。それどころか、いち早く維新を成し遂げた日本は、明治になって清国に攻め入っているほどだ。おまけに、その後は清朝廃帝・溥儀(ふぎ)を担ぎ出し、満州国まで成立させている。

ついでながら、清朝と言えば、その姓は「愛新覚羅」(あいしんかくら)。溥儀の弟の愛新覚羅溥傑(ふけつ)の長女・慧生(えいせい)が昭和32年、同じ学習院大学の男子生徒とピストル自殺した「天城山心中」で、半世紀振りに日本国民に「清」を思い起こさせたことは、記憶に新しい。

ところで、237年、265年、276年、268年って、何のことかお分かりだろうか。私も最近、気づいたのだが、それぞれ足利幕府、徳川幕府、中国・明朝、中国・清朝が続いた期間だ。ここ500年ほどに目を向けると、両国の政権はいずれも260年前後で終焉を迎えている。これって、人智が及ばない、何か特別な法則でもあるのだろうか。気になって仕方がない。