シーボルトとバクーニンの邂逅

 以前、直木賞作家・葉室麟の「星火瞬く」(講談社)を読み、この小説のストーリーは本当に歴史的事実に基づいているのか、ズッと気になっていた。

 小説では、江戸時代後期に、幕府禁制の日本地図を持ち出そうとして国外追放処分になったドイツ人医師・シーボルトが、幕末になって再び日本を訪れ、また同時期に、ロシアの無政府主義者であり革命家でもあるバクーニンも日本の地を踏み、両者の関わり(小説の中ではシーボルトの子息であるアレクサンダーとバクーニン)を中心にストーリーが展開されている。

 幕末にシーボルトが再び日本を訪れたこと、ましてや、世界的に有名なバクーニンが日本の地を踏んだことなどをまったく知らなかったため、小説を読んだ時、著者の、この空想的な着眼に驚いてしまった。

 でも以来、ひょっとしたら、これは、少しばかり歴史的事実を踏まえているのではないかと思い調べてみたら、なんと、いわゆる明治元年から遡ること7年前の1861年(万延2年、2月に文久改元)当時、2人はこの日本にあり、さらには偶然かどうか、会った可能性があるという。

 シーボルトは日本の開国とともに追放処分が解けたため1859年、オランダ貿易会社の顧問として約30年ぶりに再来日し、61年には対露、対蘭といった対外交渉を務めるため幕府顧問に採用され、江戸にいた。ちなみにシーボルトは翌年、この職を辞して帰国し、66年にミュンヘンで亡くなっている。

 一方、バクーニンはロシア本国での投獄後、半ば監禁状態に置かれていたシベリアを抜け出し、1961年8月に船で函館に上陸、その後、横浜に行き、そしてこの横浜からアメリカに向けて出港し、10月にはサンフランシスコに到着している。

 つまり、バクーニンがほんの1カ月ほど滞在したこの横浜で2人は会ったのだろう。後に明治政府に顧問などとして仕えたアレクサンダーが、この当時のことを振り返り、書き残しているという。

 いやはや、この小説は決して著者の空想的な着眼ではなく、キチンとした歴史的事実を踏まえて執筆されていたのだ。また、改めて歴史の奥深さを教えられた。

 小説ではバクーニンが、後の新撰組がまだ浪士隊だった頃のリーダーである元・庄内藩士の清河八郎を日本の革命家に育て上げようとし、そうした動向を探るため、シーボルトの子息のアレクサンダーがバクーニンの宿泊している横浜のホテルに出向き、そこで、両者がさまざまな人物(勝海舟高杉晋作など)と絡み合いながら話が展開されている。あまり詳しく触れると、小説を読む楽しみを奪ってしまうので、とにかく、マッ、ここら辺で、ということで。